寺本まこと。無宗教のブログ。

寺本まことのブログ。私は20代は人と会うよりも付き合うよりも会話するよりも読書する時間が多かったです。私は7歳頃からインターネットをしているけど(2024年5月6日現在現在私は29歳)アフィリエイトや投げ銭でお金を稼いだことはないです。ノンアフィ、金銭(現金)による収益無しでずっとインターネットをしてきました。それはこれからもずっとそうです。インターネット団体や公式応援団や政党からのスカウトがないかなんてずっと冗談半分で思い笑う日々ですが。私は今完全無所属のフリーの立場です。私は無宗教。

2000年代から2010年代の日本とインターネットを振り返る。地獄の世界をゆく。その②。

2000年代から2010年代の日本とインターネットを振り返る。地獄の世界をゆく。その②。
当時の日本はn高等学校のような高校がなかった。留年なんてしたら中卒が確定することは
当たり前の世の中だった。生きていることが辛いならという曲が世の中で流行したり
三丁目の夕日という作品や負け組勝ち組という言葉が流行したりした。おくりびとという
葬式を題材にした映画も流行したりした。死が賛美され昭和という古い時代が
賛美され負け組勝ち組という差別的な言葉も流行する。そういう酷い世の中だった。
自己責任の名のもとに落ちこぼれは徹底的に淘汰されていた。
アメリカからキリスト教が無くなったらという世界を徹底的に再現しているかのようだった。
今の世の中で活動、活躍している人達はその頃の日本では活動、活躍は出来なかっただろうし
インターネット上や世の中で幅をきかせていくことも出来なかっただろうと思う。
フェイスブックtwitterで本名や本名のような名前で活躍している人がいるけれど、
2000年代から2010年代の世の中ではそれも難しかった。特定行為をされることや炎上することを恐れていたからだ。
2ちゃんねる全盛期だったというのもあるだろうし、
善良なる人々が活動、活躍していくという土壌が整っていなかったというのも
あると思う。本名や本名のような名前で個人ブログや個人アカウントを使いsns上で活躍、活動していく
ということは本当に当時はありえないことだった。
秋葉原に買い物に行ったら通り魔がやってきて殺される、こんなことは
おおよそ今の世の中ではありえないことだ。
でも当時の世の中では実際にあったことだ。
私が思うにインターネットというものは現実の世の中の、
あるいは人々の在り方を映し出す鏡だと思っている。
2011年頃だった思うが子役の女の子がインターネット上で話題になった。
twitterで色々と発言をしたことによってである。
私はそれを見た時にようやくインターネットに夜明けがやってきたと
思った。風穴が開いた、と、そう思った。2ちゃんねるによる一党独裁のような体制が終わりようやく
インターネット上に自由な空間がもたらされる時代が
やってくるのだ、このことはその前兆なのだ
とそう思った。
だがそれでも多くの善良な人々はインターネット上で個人ブログや個人アカウントを持ち
活動、活躍することをためらった。
だがそれも終わりの時を迎えた。
ヒカキンが風穴を開けたのだ。
youtuber達が続々と誕生して
多くの善良な人々もそれに続いていった。
私はそれを見て良い時代が来たと思った。私が活動、活躍していく時代がやって来たのだとそう思った。
前田仁(だるま)「こうして俺が俺の人生というサイトを通じて皆さんの前に立てている。これは奇跡です。
時代のおかげですよ」←こういう感じです。こういう感じが来たから私もこうして活動、活躍
出来ているんですよ。私が2004年頃に某snsのチャットをした時に年上の男性から悪口を言われたことを
私は忘れません(当時私は10歳でした)。でもそういう時代は終わったんですよ。そのことに深く感謝します。
スピリチュアル的に言うなら続々と波動が高い(精神性が高い)人達がネット上に集まってきているという感じですね。
本当に深くこの今の時代に対して感謝致します。寺本まこと。