ライオンは飼い主に媚びる必要がない。
しかし小型の子犬は飼い主に媚びる必要がある。
子供は皆、非力だ。子供の頃は皆、力を求めたものである。
友達を作ったり習い事をしたりするのも力を持つためだ。
独居老人は子供達が思っているよりも大きな力を持っている。
体験、経験、知恵、財産、人脈、コネ。これらはとても大きな力を持っている。
人は老人になるにつれてアメリカのようになっていくものだ。
財力も知恵もある孤独な大国のようになっていくのだ。
生命の存続のために生きていたあの子供の頃が懐かしいと。
大人になると誰もがそう思うものである。
人は大人になるにつれてライオンのようになっていく。
非力だったあの小型の子犬のような自分の事を懐かしいと。
そう思うものである(大人になるとである)。
生命の喜びを犠牲にし生命の存続のために生きていた、あの子供の頃。
さながら小型の子犬のような日々である。
青春とは不思議なものだ。
生命の喜びを犠牲にし得られたものは本当に価値あるものだったのだろうか?と。
友達は何人もいたし、人付き合いの時間も多かった。
しかしそれらは生命の喜びを犠牲にし、その対価として得たものである。
小型の子犬は、愛される。
しかし、ライオンは、愛されない。
悲しい事だ。
人は大人になるにつれて孤独を深めていく。
やがて老人になる頃には、アメリカのように財力も知恵もある存在になっているという事は
疑いようのない事であるのだが。
大人が、何かを信じる時は、生命の喜びが理由になるという事は少ない。
大人が、何かを信じる時は、生命(種ともいう)の存続のために信じるという事が大半だ。
スピリチュアルの大いなる矛盾
人は生命の存続のために人生を生きる。
けれども自分の生命の喜びの為に人生を生きるという人は
少ない。
何故なら生命の喜びの為に人生を生きるならば。
生命の存続というものは保証されないからである。
もし生命が存続される事が保証されている環境にあるならば人は。
生命の喜びを最優先して人生を生きるようになる。
しかし、生命の喜びが生命の存続を保証するという事は無い。
人類も、あるいは動物も。自らの生命の喜びを犠牲にして
生命(種ともいう)の存続のために生きる事により、種の継続というものを
してきたという歴史がある。
ベーシックインカムは生命の存続を保証する制度である。
しかしベーシックインカムは人を生命の喜びへと向かわせる力はあるが
生命の存続へと向かわせる力は無いのである。
スピリチュアルの大いなる矛盾は生命の喜びを最優先しなさい、そうすれば生命(種ともいう)は存続するという主張にある。
生命の喜びを最優先にすれば生命(種ともいう)は存続するのであれば、ベーシックインカムを受けている者達は皆、就職し
家庭を持つという結果が出なければならない。
しかし、結果はそうはなってはいない。
この事は生活保護においても同様の結果が出ている事である。
生命の喜びが優先されれば生命の存続は後回しになる。
生命の喜びを最優先にして生きている親の元に生まれた子供が、必ずしも健全に成長していくという事は無い。
左脳は生命の存続のために存在している。左脳は例えるならばビジネスマン。
右脳は生命の喜びのために存在している。右脳は例えるならば遊び人。
生命(種)の存続が出来るのは遊び人ではないんです。
ビジネスマンなのです。ビジネスマンである人が生命(種)を存続させるのです。
アフリカは貧しいが生命の存続(種の存続ともいう)にかけては世界一だ。
しかしアフリカは娯楽が少ない。
一方で日本は生命の喜びにかけては世界一だ。
しかし日本は少子化の中にある。
この事は憎むべき事か?それとも喜ぶべき事か?。
きっと人によってこの事に対する捉え方は、違うのだろうが。
苦しみから学べることはたくさんある。だからこの社会に対して大いに嘆き苦しんだら良い。
俺は社会を変える気は毛頭ない。こんな社会、とは言うけれど社会を変える気は毛頭ない仏教の僧侶のような気持ちだ。
苦しみから学べることはたくさんある。だからこの社会に対して大いに嘆き苦しんだら良い。
この社会を変えたいと思うぐらいに。










