寺本まことのブログ。

寺本まことのブログ。私は20代は人と会うよりも付き合うよりも会話するよりも読書する時間が多かったです。私は7歳頃からインターネットをしているけど(2024年5月6日現在現在私は29歳)アフィリエイトや投げ銭でお金を稼いだことはないです。ノンアフィ、金銭(現金)による収益無しでずっとインターネットをしてきました。それはこれからもずっとそうです。インターネット団体や公式応援団や政党からのスカウトがないかなんてずっと冗談半分で思い笑う日々ですが。私は今完全無所属のフリーの立場です。これからも応援よろしくです。

富める者はますます富むの意味を自分なりに説明する。

富める者はますます富むの意味を自分なりに説明する。
日本はかつてバブル時代だった。バブル時代は景気が良く給与も上がり生活ぶりも豊かだった。バブル時代に日本人達はお金に対してどう思っていたかというと
『お金には感謝でいっぱいだ』、『お金を求めることはない、何故なら今が豊かであるからだ』と思っていた。だが景気が悪くなると日本人達は『お金をくれ』、『お金をもっと増やして貯金し続けなければならない』と思うようになった。神との対話という本の神いわく『言葉と思考が合わされば強い創造のパワーとなり言葉と思考が合わさったことが現実化される。求めれば求めることが現実化され求め続ける状態が続き望みのものは手に入らない。ゆえに欲しがるという名の貧しさの反対は感謝という名の豊かさの表現である。欲しがることは貧しさを招き感謝は豊かさを招く。言葉も思考も神や宇宙に対して嘘をつくということではない。ゆえに欲しがれば欲しがる状態が続き欲しがるという経験をする(だが、欲しがるという経験をするが望みのものは手に入らない。言葉と思考が合わさって願った通りに結果が出るからだ。今豊かな人が豊かさを望むことがないのは思考と言葉を合わせて今が豊かであると感謝をしているからである)。富めるものはますます富むし貧しきものはますます貧しくなるであろうという聖書の言葉の意味は『今ある豊かさ、例えば一円(一セント程でも良いが)が手元にあったとしてその一円(一セント程のお金)に対して感謝ができるかどうかということである。欲することの反対は感謝である。感謝とは奇跡を起こす祈りでもある。商売が繁盛しています、感謝しますと言って神社の賽銭箱にお金を入れて神社の神様に拝むのは豊かな、おこないである。今が豊かであると神様に伝えているので今も未来も豊かである。だが商売が繁盛しますようにと言って賽銭箱にお金を入れて神様に祈るのは貧しいおこないである。言葉と思考が合わさればそれが現実化される(現実化に向けて強いパワーが発揮される)。今が貧しいので豊かさをくださいと神様に伝えると今も未来も貧しいままである。豊かさを求めると願うと豊かさを求める状態がずっと続くのである(永遠に豊かにはなれない)。今手元にある豊かに対して感謝ができる者はますます富むであろう。今手元にある豊かさに気付かず豊かさを求める者はますます貧しくなり今手元にある豊かさを失うであろう』これが富めるものはますます富むし、貧しきものはますます貧しくなるだろうという聖書の言葉の意味である。人が人生の最期に求めることは残された人生の時間を幸せに過ごすということである。人は生きている間に多くの時間、結果を出すことを求めて生きている。だが0か100かという考えでは100さえも得られない。幸せな国であるブータンは決して結果を求めはしない。スピリチュアル的な考えではあるが求めるといえば求める状態が続くということを経験する。日本はかつて豊かだった時代、今手元にある豊かさに感謝していた。人生という名の旅を楽しみ人生という名の旅で結果を出していくということにはこだわらなかった。欲しがる(欲する)という名の貧しさの反対は感謝という名の豊かな、おこないである。老人ホームに入所してから人生という名の旅を楽しむと言うなら何故今若いうちからからそのようにして生きていかないのか?。老人ホームに入所して人生という名の旅を結果にこだわらず楽しんでいる人のほうがそうでない人よりも豊かである。日本は貧しくなり豊かさを求め続けている。だが欲しがる(欲する)ということは貧しさである。豊かさとは感謝という、おこないである。