寺本まことのブログ。

寺本まことのブログ。私は20代は人と会うよりも付き合うよりも会話するよりも読書する時間が多かったです。私は7歳頃からインターネットをしているけど(2024年5月6日現在現在私は29歳)アフィリエイトや投げ銭でお金を稼いだことはないです。ノンアフィ、金銭(現金)による収益無しでずっとインターネットをしてきました。それはこれからもずっとそうです。インターネット団体や公式応援団や政党からのスカウトがないかなんてずっと冗談半分で思い笑う日々ですが。私は今完全無所属のフリーの立場です。これからも応援よろしくです。

ゲーム芸人フジタのザ・ノンフィクションを見た感想。気づいたこと。長文。

ゲーム芸人フジタのザ・ノンフィクションを見た感想。気づいたこと。長文。
ゲーム芸人フジタはゲームしかしてこなかった。ゲームをずっとしてきていて
ゲーム芸人フジタが思っていたことは、『自分は中卒でゲームしか知らない。だけどいつかこのことが成功につながっていくだろう』ということであろうかと思う。非デジタル時代の中、多くの時を過ごしたゲーム芸人フジタ。非デジタル時代といえば中卒の多さである。情報の選択という点でその選択肢がテレビや雑誌や友人、家族から知識を教えてもらう、得ることぐらいしかない時代である。
水木しげるさんは漫画家である自分自身に対して疑問があると言ったことはない。非デジタル時代はある程度決められた運命というものを多くの人が信じていた時代である。それゆえに自殺をする人も少なかった。水木しげるさんは漫画家として生きていく中で漫画家として生きることはある程度決められた自らの運命であると思っていた。そして多くの時が過ぎていき山あり谷ありがあり水木しげるさんは偉大なる漫画家としてその名を歴史に残した。非デジタルの中卒は自らの運命が中卒として生きていくというものであるということを祝福している面もあった。水木しげるさんのようにある程度決められた運命というものを生きていくことはその先にある祝福、成果、繁栄を受け取るということである。それこそゲーム芸人フジタは非デジタル時代の多くを過ごした人の象徴でもある。
非デジタル時代を生きた人達とは自らの意志、自らの選択の決定に対して、そこに他者が介入するということはあり得ないという中で生きた人達である。
他人や友達と関わるには電話、文通、直接家まで会いに行くなどしかなかった。
基本的に自分が住んでいる部屋では自分しか存在しない。情報や他人や友達と関わる機会を得るという点で選択肢も限られる中で、ある程度決められた運命の中で生きていくしかないとか自分の意志や自分の判断こそが正義で全てであるという考えになっていくのは当然である。非デジタル時代の長所は多くの人と関わらないので本当に大事で本当に大切な人との関係を守り深く長く続けられることである。そして他人の顔を気にして生きなくても良い。自分は自分と思って宇宙から与えられた個性と運命を守り生きていけることである。もし水木しげるさんがデジタル時代に生まれ育っていたら水木しげるさんは漫画家にはなっていない。ゲーム芸人フジタは非デジタル時代で多くの時を過ごした。ゆえに今のゲーム芸人フジタが存在するのである。それにテレビの中の有名人もテレビで報じられる事件も遠い場所での出来事でしかないし現場であることは全て現場で決めるので有名人や事件や事故は自分の人生には関係がないので、自分の人生に集中して生きていける。デジタル時代の長所は、あくまでも遠い世界であった『自らの主張を不特定多数の人達に届ける』という点でそれが可能となったことである。
ゲーム芸人フジタがインターネットで活躍しテレビ番組で特集されるぐらい自らの主張を不特定多数の人達に届けるという点でデジタル時代は非デジタル時代には出来なかったことが可能となった時代であるということである。ハガキ投稿は雑誌や新聞やラジオでも伝えられづらい。テレビに出て何かを主張しようと思っても事務所に所属するなどのことをしなくてはいけないので多くの時間が必要になる。ゆえに今の時代はゲーム芸人フジタのようなゲームしかしてこなかった人でもインターネットで人気となりテレビで特集される良い時代であるとも言える。だがゲーム芸人フジタはあくまでも水木しげるさんや非デジタル時代の中卒の人達のように自分は自分と割り切ってある程度決められた運命があると信じて
ゲームだけしてここまでやってきたのである。子供の自殺が日本で最多となった理由は子供とは現実主義者であるゆえにインターネットで多くの悲観的な主張を見て悲観的になり自分は自分とも思えなくなり自殺をしたのである。今デジタル時代であるがゆえに言いたい。君もゲーム芸人フジタのように生きてみないか?。
水木しげるさんや非デジタル時代の中卒の人達もゲーム芸人フジタと同じで
自分は自分と割り切ってある程度決められた運命があると信じて生きた。
だがその人生に今のデジタル時代を生きているがゆえに疲弊をしている若者達のようになるというシナリオは存在できない。