寺本まこと。無宗教のブログ。

寺本まことのブログ。私は20代は人と会うよりも付き合うよりも会話するよりも読書する時間が多かったです。私は7歳頃からインターネットをしているけど(2024年5月6日現在現在私は29歳)アフィリエイトや投げ銭でお金を稼いだことはないです。ノンアフィ、金銭(現金)による収益無しでずっとインターネットをしてきました。それはこれからもずっとそうです。インターネット団体や公式応援団や政党からのスカウトがないかなんてずっと冗談半分で思い笑う日々ですが。私は今完全無所属のフリーの立場です。私は無宗教。

他人と関わる機会がない。そのことを体験経験して感じたこと。

他人と関わる機会がない。そのことを体験経験して感じたこと。
2023年12月1日にiPadに電源が入らなくなり実質インターネット環境が無くなった私。
だけどその時には内心は嬉しかったな。だって私のブログなんて一日に数人、あるいは数十人が見る程度
だったから。これで人助けをせずにすむぞととても嬉しかった。そこからしばらくの間、私はインターネット環境が
自宅に実質無い日々を過ごした(私はiPadガラケーしか通信機器が無かったので。ガラケーはインターネットを閲覧することしか
出来ない)。そういう日々を過ごす中、気付いたこと。それは他人と関わる機会が無いなあということ。
高齢者の女性に多いのはインターネットをしたことがないということ。定年退職後、他人と関わる機会がない一生を
高齢者の女性は過ごすことが多い。私もそういう高齢者の女性の心境が分かった気がした。
基本的に他人と関わる機会が日常生活の中で無い中で生きていると店の店員から良い対応をされたらとても嬉しく感じる。
店の店員から良い対応をされることが他人と日常生活の中で関わった唯一の記憶になったと感じた。
それとインターネットでの通販が使えないので街中にあるあの店であの商品を買いたいなあという風に思うことが
多くなっていた。小田和正のたしかなことという歌はインターネット環境が人々に普及していなかった時代の
歌であると思った。村というシステムはインターネット環境が人々に普及していない時代であれば
効率的なシステムであると思う。他人と関わる機会を創り出し他人と助け合い繫栄していくということは
インターネット環境が人々に普及していない時代であれば、とても大事な事になってくる。
他人と関わる機会がないということは他人を助ける機会がないということでもある。
他人に何かを発表する機会が無い、他人に自分を知ってもらう機会がない。
そうすると結局、自分の知り合いや友達に何かを発表したり自分をより深く知ってもらうしかない。
自分の知り合いや友達とコミュニケーションをとる頻度がやたらと上がる。
今インターネット上に存在する自分のブログやsnsのアクセス数などの数値が上がりますようにと思うようにはなるけれど
特別何か有益なことをインターネット上でしていこうとは思わなくなる。
店というものは他人と日常生活で関わることの出来る貴重な場所であるということに気付いた。
店にいる他人とは店の店員のことである。インターネット環境が無い中で生きている高齢者の人々も
きっとそう感じていると思う(店は他人と関わることの出来る貴重な場所であるということをである)。
他人と日常生活で関わる機会が無いということは自分特有の世界、自分特有の人生を創りやすくなるということである。
そのせいで学校で生徒が事件を起こし警察が学校に乗り込んでくるということが昭和の時代はあったようだが。
私は2024年4月13日からインターネット環境を日常生活の中に完全に取り戻した。
義務感からやっていたインターネットも今では自分の喜びから使用するということが出来ている。
言い方は悪いかもしれないがインターネットを使用する(使用する=閲覧、書き込みなど)ということは
ゲームをしているようなものであると感じられるようになった。
今は自分が少しでも嫌だなと感じたり義務を感じたりすることはインターネット上でしなくなった。
これからも本格的なネット活動を頑張っていきたい(でもなるべくはインターネット上での人助けは
控えていきたいです)。寺本まこと。