求める人は貧しい(求めるから貧しいともいう)。豊かな人は感謝する(豊かだから今ある豊かさに感謝するともいう)。今がバブル景気なら皆が人生や日々や政治に感謝して生きていく。でも今が貧しいなら感謝はできない。貧しければ求めるしかない。もし今がバブル景気なら人々は生活、日々、政治にさえ感謝して生きていくでしょう。でも今が貧しいからバブル景気ではないから貯金をしまくるし何かと求めるし不平や不満も言う。思考と言葉が現実を創造していくし、思考と言葉を人間からとったら何も残らない。求める人は今がバブル景気ではないという前提で生きているので現実は常に何かを求める貧しい人生となる。求めるというとまさにそのこと、求め続ける状態を経験するからである。神社の神様に言う言葉が分かりやすい例である。神社の神様に貧しいから助けてと言うと貧しいから助けてという状態を神社の神様はプレゼントしてくれるのである。つまり願い事は宇宙が叶えるけれど宇宙に対して貧しいから助けてと言うと貧しいから助けてという状態を宇宙はプレゼントしてくれるのである。思考と言葉が合わされば強い創造の力となりそれが宇宙に届き願いが叶う。今がバブル景気であれば誰もが感謝して日々を人生を生きて政治にさえ感謝して生きていく。でも不景気だから誰もが求めて日々を人生を生きて政治にさえ感謝せず生きていく。でも不景気でそういう風に日々、求めて感謝せず生きていけばずっと貧しい日々、人生である。そしてそういう人が増えれば国家が傾いていく。バブル景気だから幸せであると思うなら今がバブル景気であると思って生きていくしかない。目に見える外界の結果は自分自身の思考と言葉が合わさった結果でしかないのだから。
今がバブル景気であると思う人は何もかもに感謝して生きていけるし現実もそのようにして幸せなものとなっていくのである。結果が先か?自分自身の思考と言葉が合わさった結果が先か?。答えは後者である。今がバブル景気であると思って幸せを感じて今ある豊かさに感謝して生きている人は人生や日々も幸せで豊かなものとなっていく。もし不平不満、貧しさを感じたら今がバブル景気だったら?と自分に問いかけることが大事である。今がバブル景気だったら全てに感謝すると自分は答えることでしょう。これは誰もがそうであると思います。求めることは貧しい、豊かさとは感謝というおこないそのものであり、今ある豊かさに感謝することである。