寺本まことのブログ。

寺本まことのブログ。私は20代は人と会うよりも付き合うよりも会話するよりも読書する時間が多かったです。

土と火と平面的な平行的な世界しか知らず生きるのかそうではないのか。

土と火と平面的な平行的な世界しか知らず生きるのかそうではないのか。
エスキリストを知らずキリスト教会にも行かず日常にイエスキリストの本もなかった頃の私。それが昔の僕である。人を傷付けて納得のいく人生でもなくてネガティブで人生をただ浪費するだけだった。多くの日本人もそうでイエスキリストという海がない砂漠で生きている人達。仏教や神道、学校教育というものはただ水がない土と火の世界である。天とのつながり、空とのつながりという点で日本人はイエスキリストやキリスト教キリスト教会との縁が薄い分、不幸である。人生や見えている世界が平行世界であるならば人生はただ過ぎゆくのみである。真理とは体と心の正体を科学的に説けるようなことであればそこに霊は存在し得ない。霊とは魂という意味であり霊的なこと霊性のことである。日本はかつてバブル時代にアメリカの土地を買い占めた。だがこれは霊性のかけらもない、それこそ今見えている世界に天とのつながりや空とのつながりがないという証明である。土と火だけでキリスト教の水がない。おおまかに人生の成り立ちとは決まっておりそれを守るために生きるという価値観の時点でそこに神の愛も優しさもない。そこにはイエスキリストやキリスト教キリスト教会の存在は存在し得ない。平面を見て生きている日本人。立体を見て生きている欧米人。イエスキリストから道徳を学びイエスキリストを尊敬もしない多くの日本人。ミズガワカナイ砂漠で生人生ほど虚しいものはない。虐待も貧困も差別もキリストから学んだことがないゆえに自分の判断で好き勝手に生きて真っ先に地獄に落ちる者達である。人生は思うほど悪くはないが思うほど良くもない。だがゆえに人生の教師であり人生の本質を説いたイエスキリストこそ真理である。真理を知らないものに人生をより良く生きていくということは出来ない。聖書の代わりに教科書、世の中をイエスキリストから知る代わりに常識や科学から世の中を知る。これが日本であり多くの日本人の価値観である。水のない砂漠でイエスキリストという心の支え、世の中の光を知らない中で生きる。日本の自殺者は年間で万単位にある。
平面で世の中を見る日本人。それでは真理から遠ざかるばかりで決して何一つ良くなることはない。日本は死ぬ。洗濯されてよみがえる。だがそうなるまでは地獄の世界である。イエスキリストという光、人生の真実。砂漠に水が湧き湖が出来ることはないと思うのかそれとも出来るとあり得ると思うのか。前者は日本人的な平面的な見方である。後者は愛があり聖書の価値観であり立体的に見る欧米人の見方である。アメリカを見てみると良い。奇跡を信じる者こそ立体的に物事を見て建設的に努力し生きる者こそしあわせであるという信念が体現され長いこと経済大国であり豊かで世界のリーダーである。日本ではどうか?おおまかに言うならば貧しければ動いて成功しろ、砂漠にあれば湖が湧くことはないので座して死を受け入れ死ぬべしという発想である。日本はイエスキリストという奇跡も加護もなく土と火の世界で水がない世界でやってきた。だが天も神もその世界を許すことはないのである。サタンが、ひきいても結果は暗闇でしかない。これが日本の姿であり続いてきたことである。例えイエスキリストやキリスト教キリスト教会を知らず成功しても無駄である。イエスキリストという指導者、精神的支え、生きていく上での指針がなき日本ではそれこそ魑魅魍魎があふれる地獄のような世界が展開されるのみである。聖書では人生の主役はそれぞれの心が決めると説くが仏教や神道ではあくまでも救うのは御仏や神でありそれぞれ個人個人が人生を決めて自らを救っていくことは出来ないと説く。主体性がないのである。これでは人生は平面的な平行的な世界が続くだけで砂漠は砂漠のままである。
天とつながり空とつながり宇宙を理解し水を感じ生きる。立体的に物事を見て常に建設的に生きしあわせを感じ神から与えられた人生を主体的に生きると自覚し生きていく。足元にサッカーボールを渡されれば立体的に物事を見て切り拓いていく。そこには天とのつながり、空とのつながり、そして神とのつながりがある。そのうえで物事が人生が展開が切り拓かれていく。何事もバランスが大事である。だがどれだけの日本人が砂漠に水が湧き湖が出来るという奇跡を信じられるであろうか?。同じ一生でも土と火しかない平面的な平行的な人生を生きていくだけなのか、それともバランスを持ち水を感じ天や空をつながり感じ立体的に物事を見て人生を見て自分の心次第だと理解し自覚し切り開き生きていくのか。今まさにその選択肢の中に日本人はあるのである。