寺本まことのブログ。

寺本まことのブログ。私は20代は人と会うよりも付き合うよりも会話するよりも読書する時間が多かったです。

聖母マリアから見た寺本まこと。

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聖母マリアから見た寺本まこと。
聖母マリア「誰もひどい人達だ。寺本まことを差別し石を投げる。そこに罪悪感もない。家族もひどい人達で日中は孤独に過ごすことが多いようである。誰がこの者達(加害者達)を裁くのであろうか。精一杯世のため人のため日々勉強し成長しても誰も褒めてはくれない。利用され搾取され怒りでいっぱいなようである。出会う人から学んだことは人生(ストーリー)を一変させるようなつらいことだった。嬉しさは人の優しさ(その中にある美しさ)に感化した時だった。それは寺本まことをかろうじて人の姿でいさせてくれた。ネガティブなことは人生(ストーリー)もその色に染めた。だがいつも思うことは完全な愛はないということである。しかしそれに甘んじた10代の、寺本まことは、ゆえに、友達(リアルの)は、少しは、いた。だが、寺本まことは完全な愛、完全な内的世界の完成とそれを世の中に表現するという使命に身を投じた。それなりに豊かな人生経験(酸いも甘いも)を得て20代からはその使命のために生きるようになった。芸術家のような生き方である。色々なことに手を出した。それは日常型宗教もその一つである。だが何一つ変わらないままで(愛されもしないなど)20代となったので(内的世界は変わったが)先鋭化して27才となった今は子どももいないし結婚もしたこともなく車の免許さえ持っていない。snsで名乗りをあげて23才からインターネットで本格的に活動を開始(23才から27才。2018年から2021年までの3年間である)し人気を得ていくまでにも数多くの批判にさらされた。そのことが寺本まことをよりネガティブな色に染めた。強くあれ。かっこ良くあれ。寺本まことがインターネットでそうあり続け表現していくのも普通である。寺本まことが今世で知らない不幸はない(ほぼ全て見たり聞いたり体験し知っている)。寺本まことは一生独身で子どももおらず彼女もいなかったしずっと性体験もなかった。これが、既定路線である。昭和的(父長制)な家庭で育ったゆとり世代である(1994年8月7日生まれの日本人男性。学歴は高卒。二人兄弟の弟。実家暮らしの東京都民である。寺本まことは)。寺本まことの未来が心配である」。

聖母マリアから見た寺本まこと。その2。
聖母マリア「寺本まことは鬼滅の刃という映画を見た。そこに「夢の中だ。攻撃されて(炭治郎のセリフ。無限列車の)いる。夢の中に逃げるな。起きて戦え、戦えーっ!」というセリフがあった。寺本まことはずっと夢の中にいる。だからいつも夢見心地である。現実感はあるが。そういう点で鬼滅の刃の夢の世界(無限列車)と似ているなと思っていた。今もそうで、だから孤独でいるのは楽しいのであると思っている。人生経験豊富なだけで、その上で、いつも夢見心地なだけです。ドラマの相棒(テレ朝の)の世界観と似ています(そういう所は)。夢見鬼(無限列車の)は好きですね。性格が、似ているから。寺本まことはそういうことから、捕まえられないウナギと同じ強さを持っています。ウラジーミル・プーチンと同じです。「何年やりますか?。大統領を」と言われ「ずっとだよ」と言った(プーチン氏は)。それは夢の中にいるからご愛嬌(ただし真実ですがね)です。ここに石原元都知事がそうであったらというパラドクスも生じるのです。ナワリヌイ氏はプーチン氏のスパイスに過ぎません(夢の中ですから)。スーパークレイジー君という人が政界を賑わせました。しかし、寺本まことの方が、よほどスーパークレイジー。夢の中=海王星(占いの)がモデルだそうです(海王星は非現実的という意味があります)」。