寺本まこと。無宗教のブログ。

寺本まことのブログ。私は20代は人と会うよりも付き合うよりも会話するよりも読書する時間が多かったです。私の座右の銘は『我が人生をゆく(我が人生を行く)』です。私は7歳頃からインターネットをしているけど(2024年5月6日現在現在私は29歳)アフィリエイトや投げ銭でお金を稼いだことはないです。ノンアフィ、金銭(現金)による収益無しでずっとインターネットをしてきました。それはこれからもずっとそうです。私のよく読む本は漫画やスピリチュアルの本です。

あの日から。

あの日から。
東京都民だけどいまだに田舎にいる感覚だ。
20歳で誘拐のようなことがあり飛行機で田舎に連れ去られてから。
田舎ではコンビニの店員に立ち読みだけで警察呼ばれて警察から職務質問された。東京ではまずないことだ。田舎とはそういう所なのだ。僕はもう東京には帰れないと閉じ込められた病院で言われた。須藤元気の無意識はいつも君に語りかけるという本を持っていったからそれを読むと『東京に戻ると良い』という書物占いの結果が出た。僕は奇跡的に十万円があったのでそれをその病院の関係者に渡して東京に戻ってこれた。飛行機はこの一件で初めて乗った。だから重力を受けたのもあるし俗に言われる田舎の狂人とは多く出会った。田舎では対人関係での批判はタブーなのだ。北朝鮮と似ている部分も多くある。物も何もない。東京の外には何もない。それを東京都民ほど知らない。地方出身の総理ほど市民を痛めつける。国会は東京にある。東京都民は地方出身の総理に食い物にされる。へずまりゅうは炎上を楽しんでいる。田舎の過酷さや田舎の人間関係の酷さ、恋愛の出来なさを知っているからだ。東京で酷い目にあっても何とも思っていない。東京で酷いことして有名になって自らにすがりたいと思う女性を招いて結婚し家庭を持つ。全ては結果論で田舎にいた頃より自らが報われれば良いという考えだ。へずまりゅうはコロナウイルスが日本であったが動揺しなかった。東京にいてもよぎるのは田舎での経験だからだ。東京での経験はあくまでもバーチャル上での経験だという認識だ。東京ディズニーランドの中と外ということだ。田舎が外で東京が中だ。田舎はなにもないので現実主義で生きるしかないから東京での経験はバーチャル上での経験という認識だ。だから炎上しても酷い目にあっても結果が報われれば良いので何とも思わないのだ。関連する話で実は恋愛って田舎ほどしやすいといわれるがそんなことはない。アメリカでもそうだ。シカゴでは恋愛はできない。ニューヨークでは恋愛ができる。成功確率は都会の方が上だ。トー横も在日外国人や関西のグループが乗り込んできて制圧されてもおかしくない状況だ。日本維新の会は2014年をさかいに関西の大阪維新の会と共同し政治をおこなう日本維新の会となりました。政権を獲得するとしたらそれはあくまでも関西の日本維新の会が国会で与党として日本国を運営するということです。そうなれば関東は埋没します。何が言いたいかというと日本維新の会も現実主義で政権さえとれば関西を繁栄させ関東を潰すよと。そういうことなのです。お人好し関東と現実主義地方という構図なのです。だるまこと前田仁が自殺しましたが地方の過酷さを考えればああいった形での自殺というのもうなずける話なのです。お人好しのヘビが現実主義のキツネに騙されて卵を食べられる。これがお人好し関東と現実主義地方という構図なのです。東京で何か報道されても東京在住の元地方民は何とも思いません。東京都民には人情という言葉ある通り東京都民は東京独自の義務にしばられています。でも現実主義の元地方民には義務なんかない。人情という義務もない。ヘビの卵を狙うキツネでしかないです。京都出身の島田紳助さんが東京に京都のルールを持ち込んで引退に追い込まれました。郷に入れば郷に従えは島田紳助には通用しなかったのです。東京都民はお人好しなヘビです。ですから東京都民の人は現実主義のキツネに騙されず、完全に現実主義のキツネにならず現実主義のキツネの見習うべきところは見習って生きるべきであるということです。