寺本まこと。無宗教のブログ。

寺本まことのブログ。私は20代は人と会うよりも付き合うよりも会話するよりも読書する時間が多かったです。私の座右の銘は『我が人生をゆく(我が人生を行く)』です。私は7歳頃からインターネットをしているけど(2024年5月6日現在現在私は29歳)アフィリエイトや投げ銭でお金を稼いだことはないです。ノンアフィ、金銭(現金)による収益無しでずっとインターネットをしてきました。それはこれからもずっとそうです。私のよく読む本は漫画やスピリチュアルの本です。

意識、意志のみによるポジティブ干渉が少ない日本。

意識、意志のみによるポジティブ干渉が少ない日本。
人を無気力に追いやっているのはまぎれもなく昭和生まれの
人達である。目が死んだような無気力なお年寄り。
それは普段その目が死んだような無気力なお年寄りのことを日常生活においてポジティブに思っている人がいないからである。お一人様と呼ばれる人が増えている。そういう人達は、がさつで無神経な人の被害者であって他者から良く思われたり他者による意識、意志のみによるポジティブな干渉という点では、それがない人達ということである。物事を変えていくのは行動でもあるけれど
意識、意志のみによるポジティブな干渉である。意識、意志、感情は
素粒子であるのでそれがどこを向くかによって現実も変わるのである。
誰もが無関心である。多くのことにである。それはつまり多くのことに対して
意識、意志によるポジティブな干渉がないということである。
それはつまり多くのことの衰退をあらわすのであって繁栄はしていかないのである。児童虐待を受けた子供は親や家庭に対して、無関心になる。
それはつまり意識、意志のみによるポジティブな干渉が排除されるということである。児童虐待が増えている今の日本では少子化も当然のことである。
普段誰かを思う時、ポジティブな思いを持つならその人はしあわせになっていく。やがてその良く思う人に対して意識、意志のみによるポジティブな干渉も
おこなわれる。でもこの現象はあくまでも良く思えるかどうかにある。
日本には人を無関心にまで追い込むような人達が多すぎるのである。
マツコ・デラックスが好きの反対は無関心であると言ったが
そういう意味でのことである。同じ家に住んでいて同居人が死んでいることにも気づかない。こういうケースが増えている。これもポジティブな意識、意志のみによる干渉がないゆえにということだ。引退してから復帰する人も他者からポジティブな意識、意志のみによる干渉を受けていることが多いのである。
さながら今、日本はそういう意味では内戦の状態にある。
互いに無関心で普段、ポジティブに思い合うこともない。
他者からの意識、意志のみによるポジティブな干渉がないこと、ものは、やがて衰退し消えてなくなる。墓じまいをする家系もそうでその家系の家族からのポジティブな意識、意志のみによる干渉がなかったのである。こういう家系は現役の家族の家庭内で虐待や、いざこざがあり当事者の家族(親や子ども、祖父母など)によるポジティブな意識、意志のみによる家系存続に対する干渉がなくなり、内部破裂して終わったのである。児童虐待をして子どもを無関心に追い込む親は反省するべきである。責任を取るのは家系そのものである。