寺本まことのブログ。

寺本まことのブログ。私は20代は人と会うよりも付き合うよりも会話するよりも読書する時間が多かったです。

takesi83人生伝。

takesi83。人生伝。
このtakesi83人生伝は寺本まことの人生をもとに作成したものです。
なお、takesi83と寺本まことは別人です。
takesi83。生まれたときから人形遊びが好きだった。
ポケモンのソフビのおもちゃでピカチュウライチュウとで遊んだり。
ぬいぐるみのきりんのおもちゃ、キッキーはtakesi83の相棒でもあった。
どこに行くにもキッキーとは一緒だった。takesi83の三つ上の兄はゲームが好きだった。そんなtakesi83の兄を母はよく叱ったものだった。でもtakesi83は人形遊びが好きだったので母に叱られることもなかった。takesi83は幼稚園でよくおしっこを漏らしていた。takesi83は思えば幼い頃、漏らしたことがあるのはおしっこだけだった。takesi83は今住んでいる田舎の空気が好きだった。何よりもtakesi83が産まれた場所でもあったからだ。takesi83は5歳で幼稚園に入園した。最初の頃は周りの園児を蹴ったりしたこともあった。だけど先生に怒られるのが怖くて人を蹴ったりするのをやめた。takesi83は遊戯王のデーモンの召喚のソフビもデジモンのおもちゃも好きだった。両手で人形を持って人形同士で会話させるのが好きだったし人形を動かす中でストーリーを考えたりしてストーリーの中で動かすのも好きだった。ポケモンのアニメをビデオで録画したのを見ながらマーガリンパンを食べるのが好きだった。チョコエッグにもハマっていた。チョコを食べてその中からフィギュアが出てくる、そのことが好きだったのだ。幼稚園の同じクラスの男友達からは、とても愛され褒められた。同様に幼稚園の同じクラスの女の子からは対等な感じで接せられていた。takesi83が幼稚園の運動会で障害物競走でルールを無視してしまい一直線走ってしまいその後、幼稚園の先生に怒られた。takesi83はある日、実家の部屋で眠ってしまいふと起きるとぷよぷよのアニメがテレビでやっていてそれを見たときまるで自分がパラレルワールドに来たかのように感じた。タンスを見て自分は世界一の力持ちであると思ったこともあり自分に持ち上げられない物はないと感じたという。そんなtakesi83だったがある日、引っ越しをすることに。takesi83は6歳のとき東京に引っ越してきた。その頃の東京は書店やレンタルビデオ店もある豊かな場所だった。カメレオンクラブというゲームボーイソフトを売っているゲーム専門店もあった。映画館もあることが当たり前だった。従兄弟達に迎えられtakesi83の東京での生活が始まった。従兄弟達とは下をしたりして遊んだ。でも相変わらずtakesi83は人形遊びが好きだった。仮面ライダーのおもちゃとかデジモンのおもちゃとか仮面ライダーのおもちゃとかを見ると
人形同志で会話させたり両手でおもちゃを持ち戦わせたいと思った。takesi83は小学校に入学した。友達は出来ずらかった。いじめも受けた。takesi83は常識も学べず小学校に入学したのでそのせいでいじめられた。通知表も良くない成績だった。しばらくして友達が出来た。やがて小3になると話術で人気者になった。
良く思われたいがために仲良くもないクラスメイトに話しかけたりもした。
そのことは話しかける=フォローという意味では当時最先端であった。クラス中の人気者。年賀状もたくさんクラスメイトから貰った。だけどある日帰り道、デルトラクエストが好きだという友達にドラゴンクエストのパクリだと言ってしまいひどくその友達を傷つけてしまったということがあった。そういうこともあったので小4からは喋るのをやめた。無口なキャラとなった。当然、友達も離れていった。生まれながらの人形遊びが好きでという性格などは小学校に入学して以来、変わっていってしまった。世俗にまみれたような感じ。人の顔色をうかがうような感じ。そんな自分に気づきながらも思っていたことは先生に叱られないように生きていこう、友達から嫌われたくないということだった。なんとかクラス内の派閥に属して派閥に属する友達の家に遊びに行ったりゲームソフトを貸したりということをして孤独による精神的な飢えやクラスの中で無視されたりして干されるという恐怖から逃げていた。小5になるとtakesi83の兄の友達の弟という男子がtakesi83の友達になった。その友達はtakesi83にとって心の支えとなった。でもtakesi83自身、小3の時の人気にすがっていたことは変わりはしなかった。
無口でどうして人気を得られるのか?決まりきったフレーズ、まあ、一応、ちょっとという言葉はtakesi83にとっては逃げでしかなかった。決まりきった挨拶、オッスもそうだった。takesi83は何度も学校をやめたいと思っていた。でもtakesi83は当時開始二周年のメイプルストーリーハンゲームにハマっていた。兄がハマっていたバトルbbsという匿名の掲示板にもである。物資や燃料を確保するのは当然のことである。だが心の飢餓に耐えきれず小3の時、得られていた物資や燃料(物資や燃料=心の飢餓を癒やすもの)という意味では小5のtakesi83には到底、小3の当時の燃料や物資を補充できなかった。新しい利益の確保のため、画期的なネット上でのコミュニケーションにハマっていった。子どもでも大人と対等に会話できる、ネット上では何を言っても平気、そんなことを思った。娯楽といったら友達と外で遊ぶこと。takesi83のそんな常識は崩れていった。takesi83の新しい娯楽はネット上で人とコミュニケーションをして孤独を癒やすこと、人とネット上で触れ合うことで心を癒やすことだった。takesi83は友達の約束も守れずネット上で人とコミュニケーションをすることに没頭する日々を過ごしていた。takesi83は秘密主義で小3のおこぼれとtakesi83の兄の友達の弟に守られ生きているだけと周りから思われていた。takesi83は八方美人でもあった。周りから嫌われないようにおびえて生きていた。takesi83は愛されキャラで漫才のボケのようなキャラとして生きていた。takesi83はクラスメイトから話しかけられたり先生から褒められると喜ぶような過ごし方を学校でしていた。takesi83は自閉症の概念を知らなかったので弱者のふりをしていた。目の前に美味しい食べ物があったりおもしろい番組がやっていても自分の心の中で喋る声に、とらわれてしまっていた。なのでtakesi83自身、ご飯を味わって食べたり心からの青春を過ごしたいという願いはいまだ叶っていないと感じながら生きていた。やがてtakesi83は中学校に入学すると帰宅部に入部した。塾通いは小2からしていた。なので中学校に入学してからは塾通いをして進学に、そなえようとしたのである。
思うと子供の頃は塾に通わず生きたほうが良いとtakesi83は思っていた。高い月謝を払うことには理不尽さを感じていた。小学校と中学校は近い場所にあった。無口キャラでもしばらくは通用した。だがそのことに耐えきれず中二で不登校になった。それからは不登校を中学卒業まで実質続けて(朝に少し顔を出す程度のことならしていたので実質である)不登校児を受け入れる高校に作文と面接で合格し入学した。だがネット上で多くの人と関わる過程で、多くの人を傷つけすぎたことと高校に入学できなければ家を追い出すとか島に連れて行くと家族に言われていたので自己啓発をして精神も疲弊し自分を虐げてその結果、高校に受かったのである。子供の心を大人の常識に当てはめれば心は疲弊する。平和主義で悪口を許そうと悪口を見まくってうつ病になった。精神薬を服用するようになった。
takesi83、当時15歳である。高1で友達が出来た。だが高1は単位はゼロだった。高2で一念発起して20単位を獲得した。だが高校は高3でやめた。ちなみに高2の時、スピリチュアルにハマった。スピリチュアルで病気を治すニューソート派に心酔した。この頃、マーフィーや引き寄せの法則にハマった。スピリチュアルにハマるその前に、怪我をしたり病気をしたりしてその都度、お医者さんに向かうということを数ヶ月していた。これはかの石原元知事が病気をしないために調子が悪ければすぐに病院に行くという習慣を当時見て真似したからである。当時takesi83が16歳から17歳までのことでtakesi83は当時高2だった。怪我や病気をしても困らなくなった。スピリチュアルで病気を治すようになったからである。
18歳で通信高校に移った。精神薬を毎日服用していたので大事故に遭遇した。
大怪我を負った。精神薬を服用していた理由は東京都民の若者は皆精神薬を服用しているということと製薬業界に対して良い顔をするためであった。19歳で通信高校を卒業すると19歳でアニメーターになれる専門学校に入学してキャラデザを学ぼうとしたが体も心もボロボロで半年で専門学校を中退した。それからはブログをしたり兄に旅行に連れていってもらったりしたが20歳で引きこもり支援業者に田舎へと、連れて行かれた。一ヶ月後、東京の実家へと戻ってきた。元々持っていたガラケーを捨てた。孤独になった。21歳で椅子から落ちて心臓発作を経験した。22歳で就労支援や自立の手助けをする多機能型事業所に入所した。この頃、読書を覚えた。23歳でインターネットで本格的活動を始める(アイドルのような感じの活動)。以来、インターネットでブログをしたりsnsをしたりして活動している。takesi83は29歳となった。だが、今も実家暮らしである。20歳で一ヶ月間、田舎を経験して以来、takesi83は変わったのである。精神薬の服用、薬の服用を禁止、アナログな10代を過ごせなかったのでパソコンをやめる、ブレてしまった性格を本来の人形遊びが好きなネアカな感じへと戻す、ご飯は味わって残さず食べてお風呂に毎日入り歯も磨く、などを新しくやるようになった。同じ二十代の人達とは違う生き方である。特に東京都民の20代を基準にすればである。takesi83はスポーツの部活をできなかったのでスポーツの応援をするようになった。ブログ上でである。fecebook上には外国人の友達もいる。takesi83はお墓参りも神社に参拝することもキリスト教会に行くこともイスラム教を学ぶことも好きである。
takesi83は結婚もしておらずパートナーもいない。性体験もない。takesi83の未来は、いかに。takesi83は29歳となった今でも多機能型事業所に通所している。どう考えてもtakesi83は障害者ではないがtakesi83を障害者認定した市役所には首をかしげるばかりである。takesi83の人生は、これからも続いていく。