寺本まことのブログ。

寺本まことのブログ。私は20代は人と会うよりも付き合うよりも会話するよりも読書する時間が多かったです。私は7歳頃からインターネットをしているけど(2024年5月6日現在現在私は29歳)アフィリエイトや投げ銭でお金を稼いだことはないです。ノンアフィ、金銭(現金)による収益無しでずっとインターネットをしてきました。それはこれからもずっとそうです。インターネット団体や公式応援団や政党からのスカウトがないかなんてずっと冗談半分で思い笑う日々ですが。私は今完全無所属のフリーの立場です。これからも応援よろしくです。

僕が8歳からネットを見ておもにネットでこれまでに経験してきたこと。

僕が8歳からネットを見ておもにネットでこれまでに経験してきたこと。寺本まこと著作。
僕が2002年の8歳からネット上で見て経験してきたことを発表します。
僕はバトルbbsのテンドンでもありメイプルストーリーの空孫悟というハンドルネームを使っていた人物です。覚えている人いるかな?。まあ、それはそうと
僕は8歳でホラーサイトを観ていましたね。ホラー小説がまとめられていたり弱腰戦士マカァさんのフラッシュも好きで見て大笑いしていました。名探偵コナンのタイピングソフトでローマ字を8歳で覚えました。それからはインターネットをやらなくなりました。友達の家に遊びに行ったり、友達と外で遊んだり。娯楽といったら友達と外で遊ぶことしかなかったですから。僕は小3でクラスの人気者でした。話術が上手かったし自分からクラスメイトに話しかけるタイプでしたから。でもそのせいで友達を傷つけてしまい無口になりました。小3時の人気特需は小4まで続きました。僕が小5になりクラス替えがあり僕は所属していた派閥からも追放され孤独になりました。孤独を埋めるには呪術廻戦の乙骨裕太と里香のような対人関係が必要でしたがそうもいきませんでした。僕はクラスメイトに話しかけることが出来なかったのです。僕はインターネット上の対人関係に2005年の当時からのめりこみました。乙骨裕太と里香並みの対人関係を欲するも叶わず僕は孤独をうめる目的で一年中インターネットに没頭しました。メイプルストーリーは兄弟の兄貴の影響で始めました。僕が何かsnsとかする時は大抵、兄貴が先にしていたからというのが理由でした。児童書の世界名作の森から西遊記の中に出てくる空孫悟をハンドルネームに决めました。クラスメイトの皆にはインターネットに没頭していることは隠していましたね。2005年の当時、同人誌のサイトを見てポケモンを性的な目で見る人いるんだって思ってびっくりしました。ポケモンって幼稚園児とか小学校低学年の子が見るものだから。ハンゲームも2004年からしていました。兄貴が僕のIDを作ってくれて。ハンゲームでは2005年から本格的に毎日チャットしたり間違い探しのゲームをしたりしていました。ハンゲームのチャットでは2005年頃、女の子にチャットで好きと言うことにさえも赤面していました。そんな感じが2008年頃まで続いていました。ネット上で毎日出会う新しい人々。メイプルストーリー上で現れた僕に粘着するユーザー。僕は僕自身に対してずっと自閉症的であると知らなかったんです。でも14歳で医者にそう診断されて自閉症的に生きずに生きていこうと決心しました。僕は14歳で不登校になりました。知識plusとアンケートplusと2chは14歳でその存在を知りました。
ニコニコ動画は12歳で見るようになりました。当時は2007年。ニコ生は2009年から見るようになりました。ニコ生主にはならなかったです。ニコニココミュニティに参加したりニコ生やっている一般人の放送にコメントを投稿したりもしました。おおよそこのニコニコ動画やニコ生との関係性は22歳で続きました。
14歳で学校を不登校になってから色々なことがありました。政治にハマったり(福田総理退陣会見から入りとてつもない日本を買おう運動にも参加したり小泉政権のことを調べてみたり自民党を応援して総選挙での惨敗を経験したり右翼から左翼にかぶれてみたり政治家になろうと思ったこともあった。与党連立に関与する某宗教、江戸時代から始まった身分制度による差別、在日と日本の関係性もネットで調べて知った。いずれも14歳から15歳までのこと)メイプルストーリーでは人気度下げをやって拡声器で叫ばれ集団で人気度を下げられたり。思春期の悩みとかかっとうとかを正直に表現していた。snsのコトノハではコトノハ上で2chを批判し炎上したりもした(当時14歳)。15歳でipodを買った。風に遊ばれてを聞いて良い気分になった。ピクチャは14歳で知った。Amazonは15歳から自分のアカウントを持った。ハンゲームでは15歳でチャットでビックボブ君とkuraudohayatoとの思い出を作るきっかけが発生した。何となくチャット部屋に集まった人達。イシワスム、kuraudohayato、ビックボブ君、植原ジュニア、愛佳。他にも面接はいたと思う。サークルhgあべしを皆で作りそのあと楞伽経にサークル名を改名した。『鳩山政権よりも楞伽経は続くと良いな』と僕は言った。僕は省庁制を楞伽経に導入させメンバーそれぞれを植原ジュニア総理、kuraudohayato攻防長官、イシワスム幹事長とした。他にも人集め係の愛佳など役職はあった。楞伽経は短命に終わった。楞伽経自体は存在として残りメンバーらは楞伽経を抜けていった。
楞伽経は後に2020年頃に正式名称を楞伽経教会に改名した(僕の手によりである)。楞伽経を抜けた後、ビックボブ君とkuraudohayatoと喧嘩別れをした。だが2010年1月にビックボブ君とkuraudohayatoとは仲直りをした。僕は高校に入学した。僕は自分を替えなきゃと思い自分磨きをしたり自分を追い込んだりして高校には合格したがやがてネット上の誹謗中傷を見て心を鍛えようという試みをし続けたせいで心にダメージが蓄積されていた。やがて僕はネット上の誹謗中傷を見て心に入れた瞬間、脳味噌に亀裂が入った感覚がして頭が重くなってうつ病になった。kuraudohayatoは僕よりも学年は一つ下だったがチャットは頻繁にしていた。だがkuraudohayatoに甘えていたら駄目だと思いkuraudohayatoに別れを告げた。10から0までの数字を数えてチャットの部屋から退出する。kuraudohayatoとのお決まりのお約束事。何回かkuraudohayatoとはしていたが最後にもそれをした。ビックボブ君はチャットで僕の相談に乗ってくれた。僕は自分のidさえ共通して持てず姿はイシワスムではなかった。ビックボブ君「俺だったら教祖と戦うけどな」「俺は飛び降りたいと言うお前をぶん殴って目覚めさせてやりたいよ」「(インターネットをやめたくないという僕の悩みについて)イシワ(イシワ=僕の事)、それはピーターパン症候群だ」。ビックボブ君と2009年のとき喧嘩してビックボブ君=詐欺師と描きこんでビックボブ君からサブidのビックボブ子によりミニメから誹謗中傷をされたり僕が楞伽経のメンバーを引留めようとハンコインを配ろうとしたらそれを止められたりということもあった。ビックボブ君に何気なく悩みを相談すると「人殺しでもすれば?」とただ一言言われブロックされた(当時はブロックという名ではなくブラックリストという名称だったが)。ビックボブ君は自らの本名をハンゲームのブログ上に晒したうえで自らの姉に自らの臓器を移植すると発表した。ジャストビーフレンドそんな関係で(ジャストビーの部分は英語表記)。これがビックボブ君のハンゲームでのブログ名だった。ビックボブ君は現実で頻繁に引っ越しもしていたようだ(ビックボブ君は仲の良いリア友とハンゲーム上で会話していた。仲の良いリア友相手には笑顔を浮かべるがそれ以外には冷たい男である)。kuraudohayatoとはその後、アメブロで友達になったりスカイプでも友達になり通話したりもした。僕は20歳で東京から田舎に一ヶ月の間、誘拐されその後、奇跡的に東京に戻り22歳で就労と自立支援をおこなう施設に入れられた。僕は21歳で部屋で一人部屋になった。22歳で読書を覚えた。僕は僕の本来の姿へと戻っていった。成長するべきところは成長した。22歳でパソコンが壊れて22歳からインターネット使用はipadにきりかえた。人との新しい出会いは規制した。というのもスカイプで新しい見知らぬ人との出会いを求めた20歳のとき僕の孤独を埋める乙骨裕太と里香のような関係を作るということにはいたらなかったからだ。例え里香が男でも良かったのだが。僕は22歳で心臓発作を経験した。就労と自立支援をおこなう施設に入れられたのもあって(僕の学歴は通信校高卒専門中退である)読書を日中はするようになった。読む本はスピリチャルの本とか漫画とかである。週刊漫画雑誌も雑誌も定期購読はしていない。今はディフェンスをしっかりやって攻める時はきっちり攻めるというスタイル。僕は今は28歳10ヶ月である。新しい友もなく新しい出会いもない。日中は読書したりテレビ見たり出かけたり。相変わらず今も就労と自立支援の施設にはいるけれど(市役所の支援も終わり今は自費で通う時代。施設は東京にある。現在通所6年10ヶ月目)。かつて僕は愛されキャラでとおっていたが20代はずっとサッカー日本代表の監督の森保一氏のような感じ(高校からもこの森保一氏のような感じの傾向はあったが20代は特にそうだった)。愛されるとほっとする、魂もそれを望む、でも僕はそれをある時から否定し生きてきた。ドsの部類ですね、僕は(本来は違うのかもしれないが)。長老の部類です。23歳から本格的にインターネットでの活動を開始しました(ヤフー知恵袋は14歳からしていました。フェイスブックは25歳から。ツイッターは15歳から23歳まで)。ライブドアブログでブログを連載したり。pixivは15才からしていますが23歳からは本格的にpixivでイラストや小説を投稿したり。mixiでコミュニティを作ったり日記をかいたり。インターネット上では、恋愛関係で痛い目にあったり(おもに20代で)。少年時代の尾形百之助(ゴールデンカムイの)「ああ、でも、楽しかったなあ(これまでを振り返り)」。ともかく僕は僕です。20代は四柱推命では大殺界ですし厄年もありました。でもそのときにもインターネットで活動していました。