寺本まこと。無宗教のブログ。

寺本まことのブログ。私は20代は人と会うよりも付き合うよりも会話するよりも読書する時間が多かったです。私は7歳頃からインターネットをしているけど(2024年5月6日現在現在私は29歳)アフィリエイトや投げ銭でお金を稼いだことはないです。ノンアフィ、金銭(現金)による収益無しでずっとインターネットをしてきました。それはこれからもずっとそうです。インターネット団体や公式応援団や政党からのスカウトがないかなんてずっと冗談半分で思い笑う日々ですが。私は今完全無所属のフリーの立場です。私は無宗教。

人間の本当の望みとは。

人間の本当の望みとは。
人間の本当の望みとは脳みそに弱い脳内電気が流れること。
人間が依存することの大半は『脳みそに強い脳内電気が流れること』。
依存はゆえに執着を生み出す。執着は失うことへの恐れを生み出す。
恐れは現実化する。人間は脳みそに強い脳内電気が流れることを
本当は望んではいない。人は脳みそに弱い脳内電気が流れ続けることを
望んでいる。病気に苦しんでいる時は脳みそに強い脳内電気が流れている状態。
病気が治って病気に苦しんでいない状態とは脳みそに弱い脳内電気が流れている状態。
人は努力を重ねることにより今までは脳みそに強い脳内電気が流れて上手く出来なかった
物事を、脳みそに弱い脳内電気が流れるようになり、上手く出来なかった
物事を上手く出来るようになっていく。緊張が強い脳内電気で、リラックスが弱い脳内電気である。
リラックスは奇跡を起こす(リラックスは願望を実現するために欠かせないことである)。
幼少時はストレスがなく楽しい人生だったと言う人は世の中にはたくさんいる。
では何故幼少時はストレスがなく楽しい人生だったと言う人がたくさんいるのか?というと
強い脳内電気が脳みそに流れる機会が少なかった。あるいは無かったから、である(幼少時にである)。
望みを叶える人生。幸せな人生。それらの人生に共通することは脳みそに弱い脳内電気が
流れ続けるという状態が続いているということである。健全な精神状態とは何かというと、何事に対しても
脳みそに流れる脳内電気が一定して弱く穏やかに流れる精神状態のことである。
願望実現の達人、道を極めた達人、幸せな人生を過ごしている人。
それらの人々に共通するのは脳みそに弱い脳内電気が流れる、流れているということ。
流れること)に対して実は強くありがたみを感じているのである。
人間が僧侶に人生のあるべき姿を見るのは僧侶の生活、人生の在り方そのものが
弱い脳内電気を脳みそに流し続けていくことに他ならないからである。
あるいはどのような物事に対しても脳みそに弱い脳内電気を流すというその
姿勢に理想とするべき人間の在るべき姿を見るからである。
ギャンブルも飲酒も喫煙も長くとも一週間あればやめることが出来る。
ギャブルをしても飲酒をしても喫煙をしても脳みそに強い脳内電気を流さないということを
すれば良いのである。つまりギャンブルをしても飲酒をしても喫煙をしても脳みそに強い脳内電気を流さない
イメージをすれば良いのである(イメージをすることには現実を変える強い力がある)。

潰れるコミュニティの一生。有能な人が利用する人の脳内に強い電気が流れるコミュニティを作成する→脳内に強い脳内電気が流れるので
大勢の人が利用する→やがて利用する人達が飽きてきて利用する人達の脳内に強い電気が流れなくなる→誰も利用しなくなる→コミュニティが閉鎖する。
続くコミュニティの一生。有能な人が利用する人の脳内に弱い脳内電気が一定して流れるコミュニティを作成する→脳内に弱い脳内電気が一定して流れるので
口コミなどで徐々に人気になっていく→弱い脳内電気が一定して脳みそに流れるので利用者が途絶えることがない→コミュニティが閉鎖するということはない。

幸せな人生、願い事を叶えて生きていく人生、この世で潰れず続くコンテンツ、会社、作品、コミュニティ。
それらに共通することは脳みそに弱い脳内電気が流れる(流れていく)こと、ものである、ということです。